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2005年08月24日 更新
福島県
は関東と接する東北地方の最南端の県です。都心からは新幹線で1時間20〜40分。高速道路でも3〜4時間程度。田舎ですが、意外と首都圏に近くて利便性のよい場所でもあります。
地理と気候
福島県は、北海道、岩手県に次いで、全国で3番目に広い地方自治体です。その広さは南関東の一都三県…東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県を合わせた面積よりも広くなります。
東西にながい広がりを持っていながら南北に2つの山脈(奥羽山脈、阿武隈高地)があるため、県内の気候は三分され、西の会津地方は日本海型の豪雪地帯、真ん中の中通りは内陸性の盆地型気候で寒暖差が激しく、東の浜通り地方は温暖な海洋性気候で雪はほとんど降りません。
中通りの平均気温は、ほぼ全国平均です。しかし、県庁所在地の福島盆地では、夏になると毎年何度かその日の全国最高気温を記録します。
浜通りのは夏は涼しく冬は暖かい温暖な気候で、冬は北関東より温暖です。
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歴史
会津、中通り、浜通りの3地方では、気候だけでなく方言や民俗も若干異なります。会津地方は北陸系の影響が強く、中通りは南陸奥文化、浜通りは関東の影響が色濃く出ています。
特に浜通りは、鎌倉時代初期に奥州征伐の手柄として南陸奥に領地を得た下総国相馬郡(現在の千葉県北部西と茨城県南西部)から千葉氏の一派である相馬一族が入植したため、南関東では失われた南関東由来の習俗も多く残っているといいます。その後、下総国相馬郡の相馬本家は没落しましたが、浜通りの相馬分家は戦国大名を経て江戸時代も外様大名として生き抜き、明治維新後は士族となりました。現在でも浜通りの一大祭りである相馬野馬追いでは、相馬氏の子孫の相馬さんが出陣式を行います。
現在の福島県相馬市や福島県相馬郡の地方は、本来は陸奥国行方郡と宇多郡であり、廃藩置県以降に相馬郡と改められました。一方、本家の下総国相馬郡は、廃藩置県後茨城県と千葉県に分断され、茨城県北相馬郡と千葉県
南相馬郡になりました。茨城県北相馬郡はまだ市になっていない地域があるために残っていますが、千葉県南相馬郡
は葛飾郡から分割した東葛飾郡や印旛郡に併合され、現在相馬郡という名称は残っていません。
戦国大名として有名な伊達氏も奥州征伐の功で伊達郡に領地を得て、常陸国伊佐荘中村(現在の茨城県下館市)から入植しました。元は中村氏または伊佐氏を名乗っていたと言います。伊達郡に入植した分家が伊達氏と改名しました。本家の伊佐氏は豊臣秀吉の関東征伐によって北條氏とともに没落し、江戸時代には徳川幕府の一旗本として細々と生き残ったようです。本家が没落して陸奥国の分家が大名として勢力を伸ばした点では相馬氏に似ています。
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行政区名の変遷
現在の福島県は、旧国名で言うと東山道陸奥国の南部ということになります。
古代、白河関や勿来(なこそ)関より北側は大和朝廷の権威の及ばない…いわば日本の外でしたが、大化の改新のころまでには染羽(現双葉)、浮田(現相馬。
宇太、宇多)、石城(いわき)、中通りの白河、阿尺(あさか)、石背(いわせ)などに国造(くにのみやつこ)が置かれました。
古代には全国を五畿七道に分けました。五畿とは畿内にある5国(山城、大和、河内、和泉、摂津)と、畿内を中心に放射状に配置された七道(東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海)です。当初
道奥国(陸奥国)は道の外でした。東山道は近江国、美濃国、飛騨国、信濃国、武蔵国、上野国、下野国のでしたが、後に道奥国が成立し、出羽国が成立し、宝亀2年(771年)の改正で武蔵国が東山道から東海道に移管され、東山道は8国となりました。主要街道の中山道とは東山道の中央部を縦断する街道でした。
七道それぞれにも畿内と同様に国が設置され、各国には郡が設置されました。大化の改新(645年)時には国の下の単位は評(こおり)と呼び、評の長官は国造でしたが、大宝律令(大宝2年:702年)の発布で、評は郡、国造は郡司(ぐんし)となりました。また郡の下には原則として50戸を1里とし、里長を起きました。霊亀元年(715年)の改正で郷里制が施行され、里は郷、里長は郷長と改められ、里は郷の下部単位となりました。1郷には2,3里が含まれます。さらに天平12年(740年)の改正で、郷里制は郷制となり、里を廃止して50戸1郷としました。
こうした道国郡制を制度化した律令制は大化の改新(645年)で立法が始まり、大宝律令(大宝2年発布)でほぼ完成し、養老律令(養老2年:718年)で若干の改正をしました。武家社会になって有名無実といってもいいような状態になりますが、法的には明治による新法成立まで、日本の基本法として有効でした。
律令や格式(きゃくしき)というのは律令制度の法体系で、律は刑罰を定めた刑法、令は行政法などを主体としたその他の法律、格(きゃく)は令の改正法や追加法、式は令を補足した細則を意味します。
奈良時代までは比較的頻繁に境界線の変更や国名、郡名の変更、分割、合併が行われました。平安時代〜江戸時代にはまったく改正がなく、明治2年の分国、4年の廃藩置県までまた大きく改変されます。余談ですが、大名の領地を意味する○○藩というのは明治元年に改正されてからの呼び方であり、江戸時代には法的な正式名称としては存在しません。陸奥国は東山道の1国です。
陸奥国はもともとは道奥(みちのおく)と呼ばれ、7世紀に常陸国(現在の茨城県とだいたい一致)から分離しました。やがて陸奥国と表記されますが読み方としては平安時代までは陸奥と書いて「みちのおく」です。版図としてはおおむね現在の福島県(隅郡…後の菊多郡をのぞく)、宮城県、山形県の庄内地方を除く内陸部となります。
和銅5年(712年)に越後国の出羽(いでわ)郡が出羽国として分離したときに、現在の山形県である最上郡と置賜郡は陸奥国から出羽国に割譲しました。
養老2年(718年)に、陸奥国の南部が石城(いわき)国と石背(いわせ)国として分立します。このときの石城国は石城郡、標葉郡、行方郡、宇太郡、曰理郡と、常陸国から割譲された菊多郡です。つまり、現在の福島県浜通りから宮城県南部の太平洋岸…阿武隈川の河口までとなります。石背国は白河郡、石背郡、会津郡、安積郡、信夫郡(この時点で伊達郡はまだ成立しておらず信夫郡の一部
だったかもしれません)となります。この時の陸奥国というのは、現在の宮城県中部だけを版図とする非常に小さい国になりました。しかし、このたった約5年後(養老6年
(722年) 年から神亀元年 (724年)
の間のいつかは不明)、石城国と石背国は、また陸奥国に編入されます。菊多郡は常陸国に戻されず、陸奥国となりました。また、当初は現在の山形県、宮城県が北限だった陸奥国も、度重なる奥州征伐などによって朝廷の勢力範囲が拡大するにつれ、最終的には本州北端まで至る大国となりました。この後、江戸時代まで国名の改変はありません。
明治元年 (1868年)
12月7日に、陸奥国は大きすぎるとして、新しい陸奥国と陸中国、陸前国、磐城(いわき)国、岩代(いわしろ)国の5国に分割されます。
新しい陸奥国は、おおむね現在の青森県ですが岩手県二戸郡も含みます。陸中国はおおむね現在の岩手県ですが、秋田県鹿角郡(鹿角市と小坂町)も含み、南部の気仙郡(陸前高田市、大船渡市、釜石市南部)は
除きます。陸前国はおおむね現在の宮城県ですが、現在の岩手県南部の気仙郡も含み、南部の亘理郡、伊具郡、刈田郡(白石市)は除きます。磐城国は現在の福島県浜通りと、田村郡、石川郡、東白川郡、西白河郡、現在は宮城県になっている亘理郡、伊具郡、刈田郡です。岩代国は現在の会津と中通り(田村郡、石川郡、東白川郡、西白河郡は磐城国)です。
しかし、この新国制はたった1年半で明治4年には廃藩置県による制度改正を迎えます。
磐城国は平(たいら)県となり、中通りは二本松県、会津は若松県となります。平県が磐前(いわさき)県と改称、二本松県が福島県と改称され、やがてこの3県が合併し
、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)を宮城県に分離し、会津地方と新潟県の境界を引き直して現在の福島県となります。
なお、信夫郡から伊達郡が分立、会津郡から耶麻郡と河沼郡と大沼郡が分立…というように郡が細分化した時期については不勉強のためわかりません。養老2年の分国のときには伊達郡などがすでにあったようです。また、明治2年の改正で大きな郡を分けることもあったようです。伊達郡は伊達郡成立前に因達(いだち)という地名がすでに認められ、
中世〜江戸時代初期には、「いだち」、「いだて」、「だて」の読み方が混用され、しだいに「だて」になっていきます。なお、仙台伊達藩では、
初代の伊達藤次郎政宗の文書には「いだち」と読みが表記されており、伊達家は公式には明治維新まで「伊達」姓を「いだて」と読んでいたそうです。
また、岡崎俊彦の私見ですが、古代には朝廷(奈良地方)から見て手前の地名に対して遠い地名を「後」(ご、うしろ)と呼んだことから、
岩代(いわしろ)という地名・国名は、本来石背(いわせ、岩瀬)と同義で、もともとの意味は「石城国のうしろの国」(いわきのうしろ)ではないかと思います。
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県内地方名の由来
中通りの由来は現在の国道4号線に相当する中山道(中世には仙道とも呼ばれました)です。現在では中山道というと東京から高崎、軽井沢、信州、岐阜をへ京都へのルートがイメージされますが、これは江戸幕府によって江戸を中心として引き直した中山道です。本来の古代からの中山道は、京都を始点として岐阜、信州、軽井沢、高崎、宇都宮あたりを経て、白河、
安積と北上します。
一方、浜通りの由来は現在の国道6号線に相当する陸前浜街道に名前の由来があります。
会津についてははっきりした由来がわかりません。
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福島県のサイト
http://www.pref.fukushima.jp/
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